夜晚的中港路上,本來是要去享受難得的珈啡時光,一時興起,就趴在橋邊開始照相了。
用這張照片來解釋"宅"這個字是有我的理由的。儘管這照片完全不能顯示宅這個字。
根據維基的解釋,宅這類字眼解釋如下:
『おたく』の研究
「漫画ブリッコ」をネット検索すると、一番多くひっかかるのが、やはり「おたく」という単語の起源として取り上げられているものになります。
正直、「漫画ブリッコの世界」で、この部分を取り上げるのは気が引けていました。というのも、この単語は、その後あまりにも「成長しすぎてしまった」からです。
うかつに取り上げるのが正直、怖くもありました。
しかしながら、「漫画ブリッコ」のサイトをやっている以上、やはりこのことについて触れないのは、片手落ちのような気がします。
そこで、ここでは批判も予測しつつ、「『おたく』の研究」全文を載せることにしました。
「『おたく』の研究」は、ミニコミ誌「東京おとなクラブ」の「漫画ブリッコ」内での出張版「東京おとなクラブJr.」の1コーナーとして、中森明夫氏が連載をスタートさせました。
その内容は、当時人気だったアニメ「ヤマト」や「ガンダム」、「カリオストロの城」などに夢中になる若者たちを徹底的に揶揄したもので、当然のように「ブリッコ」読者からは猛反発を受け、3回で連載を中断させざるを得なくなりました。
(「『おたく』の研究―総論」は、江冶ソン太氏なる人物による)
しかしその後、この「おたく」という単語は徐々に浸透してゆき、インターネット時代の現在、日本の文化の一部を端的に表す語として、世界中で認識されるにいたっています。
ここでは、その「おたく」という単語の起源となる「『おたく』の研究」に「資料的価値」があると考え、全文を掲載しています。
改めて言うまでもありませんが、『おたく』の研究―総論 を除き、全ての文章の著作権は、中森明夫氏にあります。
もちろんこうした形での紹介に対して、異論をお持ちの方もいらっしゃると思います。
ご意見、ご感想、ご叱責など、掲示板の方までお待ちしております。
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很好,相信大家都沒有辦法看完這些日本人在唬爛什麼。
但不能不承認,宅,這個字眼在2007年這年已經溶入了我們的生活。一不小心,我們就會被人冠上宅這個字。
老實說,我覺得我一點都不宅,我週遭實體的人際互動實在不可不說是泛濫到爆,真要找個自己獨處的時間還亂不容易的。可以一個人悠哉悠哉地喝杯咖啡原則上是一件很奢侈的事情。更別提是文學大爆炸的來個文學之旅。
所以我覺得,我一點都不宅。
但昨天晚上去拍中港路的路景,在暗暗的天橋上,當我認真的在構圖時,每一路過的行人都用一種唉,又是一個宅男??的眼神看過來。
我寃啊??
簡單來說,宅,應該是一種欠缺實體人際互動的狀況,大致上來說,當一個人老是窩在自己的小圈圈內時,就很容易被批評說:厚,你怎麼這麼宅。
但我宅嗎?我只是一個人形單影隻的在暗暗的天橋上照相而已,沒有閃光燈沒有朋友,穿著涼鞋七分褲,登山外套大襯衫,只有相機陪著我.........這樣很宅嗎?
唉??我一點都不宅啦??
PS:話說回來,全世界不是都在鼓勵在地老化嗎?為什麼宅化就被人加之否定呢?
宅,難道不也是一種在地老化嗎?
就是老的快一點了,這樣也不行嗎?吼??反對啦!
主張大法官釋憲啦,援引憲法第二十三修廣泛的行為自由來保障宅的權利。